技術研究会の歴史

(討論資料)
1993/OCT/12  小平純一

分子科学研究所、高エネルギー物理学研究所、核融合科学研究所が毎年持ち回りで開催して いる技術研究会は歴史を重ね、全国のだいがく及び研究機関の技術職員に定着し、また技術 職員を抱える機関の研究者並びに事務の方々にも認識をしていただくに至っている。近年各 大学でも技術部の組織化が進み技術職員の質的な変化が生まれようとしている段階で、技術 研究会の歴史を振り返っておく意義があると思う。

1976年2月26日第1回分子研技術研究会が開かれた。井口洋夫教授は研究会報告に よせての一文にその趣旨を次のように述べている。「--はじめて技術課が発足でき、新し い意欲に燃えて、一歩一歩基礎研究所における”技術”グループの基盤を作りつつある。勿 論、研究所が生まれてまだ1年にも足らずすべてこれからである。研究所としては広く知識 を求め、交流し、とかく狭くなり勝ちな技術者同志の協力に資すると共に自分たち自身の発 展への刺激のために技術研究会を持つことにしている。---この研究会の息の長い 継続と発展のために、何卒きびしい批判と暖かい援助をお願いする次第である。」

第2回分子研技術研究会は1976年7月20日に行われた。報告集の巻 頭言に高橋重敏課長は「技術研究会の役割について」の中で次のようにいっている。 「---特に我が国における研究支援技術の現状は、諸外国に比べて著しく劣悪だと言われ ている。この事態を改善するためには、下記二つの面での努力が必須のことであると私は考 えている。 (1)優れた技術者をしかるべく処遇できる行政上の方策を講ずること。 (2)技術者が自ら新しい技術を修得向上する機会があること。 当研究所の新設にあたって、文部省所轄研究機関としては始めて技術課が設置されたのは、 上記(1)の具体的政策の一つであるといってよい。私が以下に述べたいのは、上記の(2) についてである。 ---技術者は普通閉鎖的な職場にあり、他の技術者との交流が少ないため独善におちいり、 新しい技術や批判を受け入れにくく、単なる『余人を持ってかえ難き名人』に留まる場合が多 い。こういう場合、科学と技術の発展変貌に応じて、常に研究の遂行に資するということは困 難である。一方大学で専門的教育を受けた若い技術者が、希望と意欲にもえて就職しても、理 論に裏付けられた体系的技術指導を受ける機会に欠ける現状では、正しく評価され、かつ研究 を支えることに誇りをもつ有能な技術者に育つことは少なく、---。名古屋大学在職中、- ー技術研究会を初めて約十年になる。その会では、各人が自分の持つ技術や技能を公開して他 に伝え、技術に関する相互批判や討論を行って独善を排すると共に、新しい技術を学習、修得 して各人の技術向上をはかろうとするものであった。--このような研究会は、われわれ技術 者が保有する技術の質と量の拡大に大変役立つだけでなく、特に若い技術者の研修の場として 有効であったと確信している。---当研究所でも上記趣旨の研究会を---正式の『技術研 究会』として発足することになった。---」 発展しつつある研究会にたいし将来展望にふれて、分子研の管理局長の松澤美作氏は次の ように書いている。「---当初の考え方は対象として、所内と名古屋大学の理工系の技術者 に絞り、相互の技術交流をはかることを企画したものであった。しかし回を追うに従い、この会 の存在を伝え聞いて、参加を希望する方々が地域的にも、また人数もふえ、主催者が嬉しい悲 鳴を上げる傾向が年々顕著になった。第6回の場合も、会の適正規模等からご希望に添えない 方々もあって申し訳なく思っているが、北は北大から南は都城高専まで、44名の方々が参加さ れ質量ともに充実した研究会となったことは喜びに堪えない。---  幸い筑波の文部省高エネルギー物理学研究所当局のご好意で、同研究所主催の技術研究会 が今秋から開催されることになったことは、わが国の国立大学に職を奉ずる技術者の技術研究 交流の将来のために画期的なことであると欣快にたえない。願わくばこれらの企てがさらに全国 の各地でもたれ、ブロック毎にこれらの技術交流の研究会が催されることを期待する気持ちや 切である。」(1976年6月2日に開催された第6回分子研技術研究会の報告の巻頭言)

KEKにおける位置付け 高エネ研の主催する技術研究会は2年間の準備のもとに、83年3月17、18日に行われた。 この会以降技術研究会は3研究所の持ち回り開催となり、また2日間の日程、参加規模の増大 等もあり転換の年であった。その位置づけをプロシーディングの巻頭言で馬場斉技術部長は次 のように述べている。 「---この研究会は、近年の科学技術の急速な発展の下で、研究機関及び大学における 技術者の果たすべき役割の重要さを踏まえ、多年にわたり分子科学研究所において開催され てまいりました研究会と同様の主旨にて開かれたものであります。 技術者が日常の業務である実験装置の維持改善と管理運転業務、高度な専門技術を必要と する開発等にわたる広範な技術活動の中から、創意と工夫、研鑚の限りを尽くし、まとめあげた 経験を発表する機会を得たことは、まさに時宜を得たものであります。---」

プラズマ研の位置付け プラズマ研究所においても84年11月15,16日に技術研究会を始めて担当し、以後3研究所 が毎年持ち回りでの開催が定着することとなった。またこの研究会から「装置技術分科会」を設 定し、高い評価を得た。この時はエネルギー特別研究の総合総括班事業として位置付けられた。 事業責任者の宮原昭教授は報告集の巻頭挨拶で次のように述べている。 「---先端技術の開発はプラズマ核融合に利用することを動機としていることもあるし、加速 器等への適用を考えている場合もある。しかしながら技術の観点からはこれらの異なった分野の 技術者、研究者の検討にも極めて多くの共通な問題があり分野の異なる技術者間の討論は特 別研究の複数の班にまたがる研究会と同様に研究、開発の促進を活性化するには極めて重要 である。」 また全国へ配布した案内文には研究会の主旨として次のように述べられていた。 「本研究会は、教官、技官を問わず大学および研究機関の技術者が、日頃の実験および装置 の維持、運転管理業務から改善、整備および開発にわたる広範な技術活動を発表する研究会 です。この研究会を通して技術者の技術向上および技術交流をはかることを目的としております。」 プラズマ研で開かれた次の研究会は88年3月29、30日に行われた。研究会の案内文の主 旨は次のように書かれた。 「本研究会は、大学および研究機関さらに産業界の技術者が日頃の実験装置の維持管理の 話題から話題から改善開発の話題にわたる広範な技術活動について発表する研究会です。 発表様式も通常の学会等とは異なり、日常業務から生まれた創意工夫および苦労話、失敗談 等も重視し、技術者の技術交流と向上を図ることを目的としております。」 この会に原研那珂研究所から3件の発表参加があり、以後原研のなかでも積極的に位置付 けられ(太田充 核融合装置試験部次長談)、毎回多数の発表が得られるようになった。

91年に核融合科学研究所として初めての技術研究会が開催された。報告集の巻頭言で実行 委員長の藤若節也課長は次のように述べている。 「このような、より先端的な技術を要求される研究において技術職員は夫々の専門技術と蓄積 された経験を駆使して、研究を技術面からサポートしています。しかしこうした要求に答えて行く 技術者は、常に先進の技術を身につけていく機会が必要です。いくつかあるそれらの機会の一つ として---開催することができました。  この技術研究会はご案内にも記しましたように、大学・研究機関の技術者はもちろん、産業界の 技術者も交えて夫々の研究成果の発表、苦労話、失敗談、悩み等を討論し、新たな刺激、明日 への活力を得ることを目的としております。---」

最近の開催では高エネルギー物理学研究所が92年に開催した研究会について次のように世 話人会は述べている。 「本研究会は、近年の科学技術の急速かつ多様な発展の下で大学および研究所における技術 者の果たす役割が重視されつつある情勢を踏まえ、これら技術者に向上心の促進とより高度で 実践的な経験に接する機会を与え、総じて技術の向上を図ることを目的にして開催された。-- 我々は、こうして育ちつつあるこの研究会が、全国の大学、研究所で活躍中の技術者の日頃の 技術活動を励ます力になるようにしていきたい。--- 大学および研究所の教育と研究の発展にとって、技術者の地位と処遇を改善することが不可欠 であることが叫ばれている現在、我々技術者が社会的要請に十分にこたえて行くためにも本研究 会を更に充実していく必要がある。」